2013
8.26
本当に守るべきもの(意見書)

 最近、漫画やアニメーションをめぐり、表現規制につながりかねない出来事が続いていることは、本当に憂慮すべきことだ。

 例えば、東京都の青少年育成条例や、児童ポルノ規制法案など、児童を冠に抱いたそれらは、児童を保護し、育成する目的でありながら、実際に検討されているのは、「不健全」な表現を炙り出し、それらを規制することだ。

 そのような目で見ると、確かに「はだしのゲン」は、目を背けたくなるような残酷さと、人間の罪深い行為に溢れたシリアスな作品である。

 でもそれは、伝えようとしている、伝えなければならない当時の「現実」が、まさに非人間的だったからだ。

 戦争という最大級の過ちの中では、想像を絶する鬼の如き蛮行に及ぶのは、本当にすぐ隣にいるような、普段はやさしい普通の人間である。

 そんな「事実」が生々しすぎるからこそ、より身近で親しみやすい表現手段である「漫画」で伝える意味があるのではないか。

 もし議論の余地があるとすれば、それは課題などとして「強制的に」読ませるべきかどうかであり、自主的に読む機会すら与えない「閉架」という措置は、それを決定した大人たちの、無自覚な傲慢さと、本来尊重すべき、子供の感性への過小評価を、強く疑わせるものだ。

 「風立ちぬ」から、喫煙推奨のメッセージを受け取ってしまうのも、フィクションの影響力を案ずるあまりなのであろうが、それにしても主題を見失った、残念な鑑賞の仕方である。

 このままこのような規制が続くと、なんとも薄暗い、住みにくい国の形成が見えてくる。

 「フィクション」とは規制の対象というよりも、むしろその効能を理解し、適性に活用すべきツールである。

 この国は、「マンガ」をクールジャパンと持ち上げておきながら、片方で表現を規制し、足を引っ張るようなことをする。
 「規制」は発想を阻害し、表現の幅をせばめ、文化的土壌を貧しくする。
 日本はもっと自国の文化的な多様性を前向きに評価し、その自由さを保証する表現の手段について、可能な限り寛容でおおらかでいてほしいと、強く、強く願う。

 そのことこそが、本当に起こってはならない「現実」への警鐘となり得る、と我々は信じているから。

社団法人 日本漫画家協会

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